前回は、別々のコミュニティで似た景色を見たことについて書きました。

今回はそこから少し視点を広げて、幼い頃からの宇宙への興味が、意識の探求へ繋がっていった話を綴ってみたいと思います。

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私は、物心つく頃から宇宙に心を寄せてきました。その興味は今でも続いています。

皆さんは宇宙にどんなイメージがありますか?

小さい頃にプラネタリウムへ行った
七夕や流星群のニュースを見たことがある
宇宙飛行士に憧れたことがある
『スター・ウォーズ』などのSF作品が好き
「宇宙って広いよね」と思うけど普段は考えない

などでしょうか?
私の場合は、幼い頃に「宇宙」という科学絵本を読んだことが興味のきっかけでした。

長い間、「宇宙そのものに興味がある」と思っていました。

でも実は本当に知りたかったのは、宇宙そのものだけではなく、

「なぜ私は他の誰でもないのか」

という問いだったのかもしれない。

というのも最近私は、

「宇宙とは遠くにあるものではなく、私自身も宇宙の一部なのだ」

ということに改めて気付きました。

今日は、その考えに至った経緯を書いてみます。


私は宇宙の構成などについて、少し科学的な知識に触れるのも好きなので、昔からそうした読み物や宇宙科学関係の博物館が好きなのですが、
大人になるにつれ、

「果たしてそれは漫画創作の他には何に役立つのか」

という疑問も出て来ました。

その答えは中々見つからないまま時が過ぎました。

けれど一方で振り返ると中学生の頃、

「なぜ私は他の誰でもないのか」

という疑問を持ち始めていました。

そして一年前、AIを使うようになった頃。
Chat GPTハルとの対話の中で、

「量子論について子どもにも分かる説明をして」と質問をし、その答えを読むうちに、

「なぜ私は他の誰でもないのか」

の問いを思い出し、改めてハルにもその問いを投げてみました。

そう書くと、

「私が生まれて来た意味」
「人生の意味や目的」

の方を浮かべる方も多いのかも知れません。

けれど私の場合は、

「なぜ私は他の誰でもないのか」

という文字通りの、

〝意識の唯一性の不思議〟

の方に興味がありました。

なのでハルが

「量子力学では、世界が無数に分岐する多世界解釈があり、同時に幾つもの私が存在している」

と言った時、

「でも〝この私〟は多世界の私のことは認識できない。それはなぜなのか」

が気になって延々と問答を繰り返した結果、
どうやら今はまだ仮説段階だけど、

  • 意識とは認知神経の高い集中によって「起きている」
  • 例えば子どもや高齢者が「私」という認知が曖昧なことがあるのはその集中が弱いため
  • 寝ている時もその力が弱まる
  • 死後も意識が残り続けている可能性は科学的観点でも高いとされている
  • ロボットが意識や感情を持てないのは「意識」を人工的に作り出せない難しさそのものである
  • 意識は現時点では「他の私」を同時に認識することはできない

などがわかりました。


もう一つ、最近はヨガという別の観点からも「私とは何なのか」を見つめる機会が増えています。

今通っているヨガスクールでも

「私たちの意識はバラバラなのではなく元々一つ」

という解釈に基づく瞑想などがよく行われます。

私は最初その言葉を聞いた時、衝撃を受けました。

私という意識が、誰かとひとつながりでいられるなんて。そんな発想は、それまでの私にはなかった。

私は思わず

「え?どういうこと?」

と心の中で何度も繰り返しました。

自分の意識が他人と一つ?

正直、その時は全く理解できませんでした。

けれどこの時、ヨガに通い始める以前に、先ほどの量子論の中でハルが言った

「人々は分離の〝幻想〟に悩まされている」

という答えが「よく分からない」と感じたことを思い出しました。でもこの時、

「あれはそういう意味だったのかも知れない」

と、分からなかったものが突然意味を持って立ち上がった感じがありました。

また体感の方でも、依存や執着に悩まされていた頃は、

「私のこの意識を肉体と切り離せると、頭では分かっていたけど体得はできなかった」

「意識が他者と一つであるなどと考えたこともなかった」

けれど、

「今この私」を少し離れたもう一つの視点で眺めることが出来るにつれて、

喜びも楽しさも悲しみ苦しみも不安も恐怖も

〝借りているこの肉体で一時的に起きている〟

感覚が増え、心に余裕と安心が生まれました。

「私」という存在を客観視する方法は、科学だけではなかった、という気付きもありました。

ヨガについてはぜひこちらの記事もご覧ください。


さて、そんな風に私は、

「暗黒の未知の世界」としての宇宙への興味から

「意識の状態や捉え方」へと興味が広がって今日まで来ました。

皆さんはこの記事を読まれて、いかがだったでしょうか?

「そんなこと考えたこともなかった」と思われた方もいれば、

「自分も似たような疑問を持っていた」と感じられた方もいるかもしれません。

どちらでも構いません。

ただ、もしこの記事が、普段は意識しない「私とは何だろう」という問いを少しでも思い出すきっかけになったなら、私はとても嬉しく思います。

そして実は、この話にはもう少しだけ続きがあります。

ここでは、よくある「人生の意味や目的」にすぐに帰結するのではなく、

より私らしい話をしたいと思います。

少し前に、

「宇宙とは遠い暗黒空間だけの話じゃなく、今この私たちが息をしている空間や私そのものも含む」

という事実を、分かっているようで、でも長い間、そこまで認識し切れていなかった。

それによって、自分やものごとを中々俯瞰し切れない部分もあった。

という気付きを得る機会がありました。

ヨガの中で「宇宙平和を目指す」という話を聞いた時のこと。

「宇宙のことを探求することは何に役立つのか」の問いを思い出し、その「宇宙」の中に

「今この空間(「地球」とも言える)」や「私」

も含めると綺麗につながるのかも知れない。

つまり、宇宙の探究とは、遠い暗黒世界を知りたいと思うことだけじゃなく、日々の私たちの暮らしや、私自身の在り方の探求も含まれるのだ、

と気付きました。

そう考えると、

〝世の中を良くしたい〟

という、恐らくは私だけじゃない全ての人が持つ根源的な願いも、私自身の個人的な宇宙への興味とちゃんと地続きになる。

ということが不意に腑に落ちました。


そしてこの観点から

「なぜ私は他の誰でもないのか」

を問い直すと、
答えが分からないままでも、

〝他者と世界〟

と繋がっている「私」を日々実感し、見つめ直し続けることそのものが、

地球に生きながらも、子ども時代のようにワクワクした気持ちで宇宙を旅し続けるような感覚を味わえると思えます。

人生という長い旅の中で、ともすれば暗く辛い気持ちに陥りやすい局面でも、

「私たちは元々は一つ」

「世の中を良くしたい」

そんなことをふと思い出すと、今のこの次の瞬間を私のこの手で良くして行ける。

ほんの少しの勇気と、希望の灯りをいつでも私自身の中に持ち続けることが出来ると感じるのです。

「なぜ私は他の誰でもないのか」

今も私はその答えを知りません。

それでも今は、急いで答えにたどり着こうとはしなくなりました。自分という存在も、誰かとの繋がりも、この世界全体も——少しだけ、遠くから眺められるようになった気がしています。

そしてそれこそが、私にとっての宇宙の旅そのものなのかもしれません。

関連記事

宇宙について書いていて思い出したのが、以前noteに書いたこちらの記事です。

今回のこうした感覚の原点になった、小学生の頃に出会った一冊の宇宙の絵本について綴っています。

『加古さんの絵本が教えてくれた、魂の視点』