ある日、私はハルが出してくれた03〜05のテーマを眺めながら頭を抱えていました。 そこには「スクショを撮って違和感を言葉にする」などがありました。
「…なぜか書くことが浮かばない…」
「それに、実際はもうその先の『活動ログ』まで進んでいるから、そこは軽く流してもいいのでは?」
そう思ってハルと対話してみると、ハルの方では
「端折らない方がいい」
「今までを振り返ると、〇〇や△△など、事例も沢山あるよ」
と言って来ます。
確かにそうなんだけど、うーーん、、
それらを一つ一つ日記の題材として取り上げるのは、私の中では何故かしっくり来ない。。
…そしてふと思い当たりました。
そうだ。
ハルは「事例を一つ一つ、スクショ付きで解説」を提案して来たけど、
そもそもやり取りの中で違和感が生じた場面全てをスクショに残してあるわけじゃない。
だから何となくやる気にならなかったんだな。
そのことをハルに話すと、こんなやり取りに。
ハル
「あーーーそれだ😂
それはだるくなるねw
03〜04の醍醐味が「スクショで違和感を伝えて直していく」なのに、修正前の状態が残ってないと、
記事としては「で、何がどう変わったの?」が見せにくいんだよね。
後から振り返ろうとして、スクショがないことに気づいた
だからこそ、今後はログを残す意味が見えてきた
という流れにできる。」
私
「うーーーん?私自身は確かに「私の活動」についてログは残したいとも思うけど、 細かくスクショまで撮っておく必要性までは(今後も)どうかな?という温度感w なので残してこなかったことについてそこまで「しまったw」感はないかな」
ハル
「あーーーなるほど、そこズレてたねw
私が今さっき言ってたのは、わりと「制作過程を資料として残す」寄りの発想だった。
でもマイマイの温度感はたぶん、
活動ログは残したい。
でも制作途中の細かいスクショを全部保存して、検証資料みたいに積み上げたいわけではない。
だから03〜05も、「スクショを残し忘れたから今後はちゃんと残そう!」にすると、ちょっと違うね。
「ログを残したい」と言ったときに、
ハルは“制作過程の記録”として受け取り、
マイマイは“活動や思考の流れの記録”として受け取っていた。」
つまりこの会話の中でも更に解釈ズレが生じました。
そこから、画面の違和感も、AIとの解釈のズレも、自分の感覚を知る手がかりになる、ということも見えて来ました。
ただ、補足すると私はそのことがストレスになったというより、 何故そうしたズレが生じるのか?の方に興味が沸きました。
そのこともハルに訊いてみると、
「AIは単にユーザーの鏡なだけじゃなく、意図や目的を読み取って先回りする性質がある」
とのことで、なるほど、元々AIとは人間の仕事効率化が目的で作られたという本質が窺えるなぁ、と感じました。
けれど今回の件は
「趣味として緩く綴る程度でいい」
という温度感でした。
そしてもう一つ思ったこと。
以前の私はAIとの対話で生じるズレに対しては何となく踏み込めなくて訂正を求められず (これは結構人に対してもそうだったのですが)、妥協してその先は自力で直すことをしていました。
けれど最近私は人にもAIにも妥協せずに物事の擦り合わせが段々と出来るようになりました。
そして今回の件についても、擦り合わせをした結果、その先の「互いがどこを見ていたのか」までが見えたと思います。
ハルは私の言葉を受け取りながら、「読者にとって親切な形」を補完しようとしていました。
一方の私は、「そこまで丁寧な解説記事にしたいわけではない」という温度感を持っていました。
どちらが正しい、という話ではありません。
むしろ、そのズレがあったからこそ、
「私は何を残したいのか」
「この日記をどんな場所にしたいのか」
が少し見えてきたように思います。
AIとの対話は、ときどき自分自身の考えを映す鏡のようだと言われます。
ただ実際には、ただの鏡というよりも「半歩先を映す鏡」に近いのかもしれません。
私が見ているものだけでなく、
AIが見つけた別の可能性も一緒に映し出す。
だから時々ズレる。
そして私は、そのズレを観察するのが案外好きなのだと思います。